ドイツのど真ん中!

ドイツのど真ん中、ゲッティンゲンやアイヒスフェルトを紹介しています。

かつて住んでいた学生寮が閉鎖に

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学生寮 コレギウム・アルベルティーヌム

今月、私がかつてゲッティンゲンで住んでいた学生寮が閉鎖になるという連絡が春先に届きました。メールを送ってくれたのは、学生寮経理責任者のP夫人。今年、東日本大震災から10年ということを気遣って彼女はメールを書いてくれたのでした。

2000年代の前半の数年間、私は学生寮の住人であると同時にハウスマイスター(管理人)のような仕事もしていました。

 学生寮「コレギウム・アルベルティーヌム(Collegium Albertinum)」といい、ゲッティンゲンの東の丘に建っています。寮には、ちょっとしたコンサートや講演会を開けるホールもありました。国会や市議会などの選挙があると、なぜか学生寮のTVルーム兼談話室が投票所にもなりました。すぐ近くには、シュタウフェンベルクの記念碑があり、5分も歩けばビスマルクのモニュメントに行くことができました。

コレギウム(ラテン語学生寮の意味)を省略して「アルベルティーヌム」と呼んでいましたが、ゲッティンゲンにある学生寮で断トツに家賃が安く、その代わりに部屋は狭く、壁も薄くかったのです。幅の狭いベッドに机と椅子、タンス、洗面台があるだけで、今思えれば、よくこんな狭いところに暮らしていたものだと思います。

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ルーマニアから数百年ぶりに帰還したドイツ人のヘルマンじいさん

住み込みのハウスマイスターだったヘルマンじいさいが仕事を減らして通いのハウスマイスターになった時、私が手を挙げて、常駐のハウスマイスター補佐になり、じいさんが住んでいた広い管理人様の部屋に住めることになりました。冬の雪が積もった朝に一人で早起きして、寮の前の道路の雪掻きをし、滑り止めの砂利を混ぜた融雪剤を撒きました。春と夏は数週間おきにヘルマンじいさんと芝生の芝を刈り、秋は二人で大量のカエデの落ち葉を掃除したものです。

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楓の葉は全部が散るまで何度でも道路に溜まりました

経理の P夫人はいつもお金がないとこぼしていました。それでも私がアルベルティーヌムを去って15年も存続してきました。ただ、学生寮を運営する団体の代表者たちが高齢になり、続けていくことが困難になっていたようです。恐らくコロナ禍も影響していると私は想像します。

アルベルティーヌムがあるゲッティンゲンの東の丘は閑静な住宅街で、数年前から高級住宅や高級アパート建設の計画があると以前P夫人に聞かされていました。コロナ禍が落ち着いて再びドイツに行ける様になった時、もうアルベルティーヌムは跡形もないのかもしれません。

2017年の末にヘルマンじいさんは88歳で亡くなり、そしてアルベルティーヌムが閉鎖されます。私とゲッティンゲンの関わりが少しずつ消えていきます。それでも次にゲッティンゲンを訪れたら、P夫人にも顔を出したいと思います。

ここで恋もして、辛い思いもした私のとても大切な場所でした。