ドイツのど真ん中!

ドイツのど真ん中、ゲッティンゲンやアイヒスフェルトを紹介しています。

あるグリム研究者のこと

その昔、ゲッティンゲン大学の学生だった頃、
九州の国立大学の独文の博士課程にいた研究者のお手伝いをしたことがあります。
その人の研究テーマは「グリム兄弟と森」。

日本では入手困難な資料が欲しいのだと、ドイツ語の本を最初から最後まで数百ページをコピー機でコピーし、そのコピーの束を業者に製本させて、日本のグリム研究者に郵送しました。
1冊だけではありません。かなりの数の本をコピー、製本して送りました。
それには、だいぶお金もかかりました。

またある時は、大学の勉強会で発表があり、どうしても分からないことがあるから助けほしいと、発表の前日の深夜にメールを送りつけてきました。
私は、取り急ぎ国際電話をかけてグリム研究者に知恵を貸しました。
しかし、私の助けを「学術的協力」と言ってのけたのです。

「学術的協力」なんて言葉を私は、それまでもそれ以後も聞いたことがありません。
国立大学で博士にならんとする者は、「学術」という枕詞を持ち出せば、どんなことでも許されると思っているようでした。
「学術的」と大げさな形容詞を持ち出されてしまいましたが、
それほどまでにあなたはご立派な研究をしているのか?
「グリム兄弟と森」が社会の役に立つ研究なのか?と思ったほどです。
腹が立った私は、それならばコピー、製本、郵送にかかった経費の一切を即刻払いなさいと迫りました。
それ相応の手数料も上乗せしてやりたいほどでした。
しかし、大学院の学生でそんなお金はないと言い出します。
お金がないのは、私費で留学しているこちらの方だよ、呆れてしまいました。
そのお金は今も返ってきていません。

ハンドルネームが示すとおり、私は東北地方の出身で、後に東日本大震災の被災地となる町で育ちました。
3月11日も津波が襲った町にいました。
町には瓦礫がうずたかく積もり、知人も津波の犠牲となりました。
そのグリム研究者は今もメルヘンの世界で生きているのでしょうが、
震災の被災地は超現実の世界でした。
「グリムと森」など被災地では糞の役に立ちません。
普段の生活でも「グリムと森」など雑学であって、「へぇ~」と頷かれる程度の知識で、
決して実学ではありません。「だから、何?」でしょう。
震災を経験して、何か役に立てる人間でありたいと思いを新たにしたものです