ドイツのど真ん中!

ドイツのど真ん中、ゲッティンゲンやアイヒスフェルトを紹介しています。

ナチスの強制収容所へ1

かつて私のドイツ人の親友ラインハルトが「このドゥーダーシュタットにだってナチの強制収容所があったんだぞ!」と話してくれたことがあり、ひどく驚かされたことがあります。

ナチス強制収容所といえば、アウシュヴィッツダッハウ、ブーヘンヴァルトが知られています。また「アンネの日記」のアンネ・フランクと姉が命を落としたベルゲン・ベルゼン強制収容所ハノーファーの北にあります。しかし、その他にもまだまだたくさんの強制収容所がドイツには存在したようなのです。

ある日のこと、グーグルマップでを眺めていると、偶然ゲッティンゲンからそう遠くない町にナチス強制収容所に関する施設があることに気づいたのです(ただしラインハルトが語っていた強制収容所とは別の収容所です)。去年12月のドイツの旅では、この強制収容所へ行ってみることにしました。

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ナチス強制収容所があったのは、ゲッティンゲンから20kmほど北北西にあるモーリンゲン(Moringen)という小さな町です。

現在この町では、モーリンゲン強制収容所記念施設(KZ-Gedenkstätte Moringen)ナチスによる強制収容の記憶と記録を残して、後世に伝える活動を行っています。

上の画像の家で強制収容所に関する資料や記録を収集編纂の作業が進められています。

昔はこの家はモーリンゲンの北の市門の役割も果たしていました。ただし、この建物が強制収容所だったわけではありません。また、ここで強制収容所の資料が展示されていません。

私は直接この建物を訪問したのですが、担当者から後日改めてガイドしますと言われて、翌週の月曜日にかつての強制収容所を案内してもらいました。

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強制収容所記念施設から歩いて3分ほど。モーリンゲンの町の真ん中、目抜き通りに面した画像の白い壁の大きな建物がかつてのナチス強制収容所でした。

元々は修道院付属の孤児院で、のちに砂糖工場の作業場となり、そして強制収容所となりました。収容所を管理するナチス親衛隊(SS)の司令部もここに置かれました。中央の三角屋根の下にある丸窓からは戦時中ナチスの鉤十字の旗が掲げられていました。

こうして町の真ん中に市民の目に触れる形で強制収容所があったのは、かなり珍しいケースだったそうです。

また、ヒトラーが政権を掌握してまもなく初期にできた強制収容所の1つでもあります。

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収容された人たちは、この階段を「地獄への階段」だと覚悟したそうです。緑色のドアをくぐった瞬間、普通の市民が無実の囚人となりました。

ドアの向こうはホールになっており、その場所で囚人だった人たちの証言を映像で見ることができます。 

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ただし、モーリンゲンの強制収容所に収容されたのは、ホロコーストの犠牲となったユダヤ人ではなく、ヒトラーの政敵と見なされた共産党員や社会民主党員や政治犯、反ナチス的あるいは社会不適格者と判断されたドイツ人たちでした。

はじめに1933年4月に男子の強制収容所が設立され、続いて女子強制収容所も開設され、強制労働に従事されられました。1933年の11月に男子収容所は閉鎖されますが、女子収容所は1938年まで存続しました。女性への暴力はなかったと報告されていますが、男性には暴力を振るわれて亡くなった人もいました。1940年には若者を保護する収容所(Jugendschutzlager)という名目で青少年強制収容所が開設され、1945年まで存続しました。反ナチス的な若者の「矯正」が目的でしたが、中にはジャズを聴いていたというだけで収容された若者もいたそうです。

このように男子、女子、青少年の3つの強制収容所があったのは、これまた異例だとのことでした。

ナチス強制収容所があったモーリンゲンはドイツのここにあります。

    

モーリンゲンの旧強制収容所への行き方は、ゲッティンゲン駅前のバスターミナル(ZOB)から220番のモーリンゲン(Moringen)行きのバスに乗り、終点のモーリンゲン・アムツフライハイト(Moringen Amtsfreiheit)で下車し、ランゲ通り(Langetraße)を徒歩で北の方角に向かいます。強制収容所だった建物を見学したい方は、事前にこちらに電話かメールでの連絡が必要です。

モーリンゲン強制収容所記念施設のホームページはこちらをご覧ください。