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ヘルマンじいさんのこと ドイツ東方植民の話

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今日書くことは、今年のうちに書いておこうと思ったことです。

今年は春と冬に2回ドイツに行き、計5週間の長期滞在することができました。

春の旅では、昔住んでいた学生寮に顔を出すと、ハウスマイスター(管理人)だったヘルマンじいさんが去年の末にに88歳で亡くなったことを教えられました。後を追うように奥さんも亡くなったそうです。

ヘルマン(現代の標準ドイツ語ではヘァマンと発音)といういかにもドイツ人らしいの名前ですが、彼は数百年ぶりにルーマニアから帰還したドイツ人でした。いわゆる「東方植民(Ostsiedlung)」の末裔です。

12世紀から14世紀ごろに現在のドイツから東ヨーロッパへ移民したドイツ人たちがいました。有名なメルヘン「ハーメルンの笛吹き男」はおとぎ話のように思われますが、130人の子供たちが行方不明になったことは歴史的な事実とされ、消えた子供たちは東方植民に連れていかれたのだという説もあります。

学生時代、私はヘルマンじいさんの助手のような仕事をして、彼と話をする機会がありました。しかし、頑固で寡黙な年寄りで特別親しくしてもらったというわけでもなく、彼について知っていることはごく断片的。現在インターネットを使って調べうるかぎりのことと総合すると、彼の人生は以下のようになります。

ヘルマンじいさんが生まれ育ったのは、ドラキュラで有名なルーマニアトランシルヴァニア地方(ドイツ語ではズィーべンビュルゲン: Siebenbuergenといいます)。

1970年代後半に妻と子供を連れてドイツに帰還(あるいは移住)し、ブルーカラーの仕事をして、ある時から私の住んでいたゲッティンゲンの学生寮で住み込みのハウスマイスターの仕事をしていました。ルーマニアでは少数民族のドイツ人としての苦労もあっただろうし、ドイツに帰還してからも色々と苦労があっただろうことが推測できます。ドイツへの帰還は、西側の豊かな生活を求めてだったのかは分かりません。機会があれば、彼の息子や縁者に聞いてみたいと思います。

ヘルマンじいさんのルーマニアの話を聞いて驚いたのは、東方植民の時代から600年から700年もの時代が下って、幾世代にもなろうというのに、その子孫はドイツ人のままなのだということでした。その過程で少しはルーマニア人の血も入るでしょうが、民族としてはドイツ人なのです。これは、日本で数世紀経った後も在日韓国・朝鮮人たちがずっと在日のままの扱いということなのでしょうか。島国育ちの日本人にはなかなか理解できないことですね。

ヘルマンんじいさんと奥さんは父祖の地ドイツに帰還して、ドイツの土に還っていったのですが、実は、彼の長男は現在ルーマニアに戻り、観光業を営んでいます。皮肉にも、長男にとっての忘れがたきふるさとはルーマニアだったということでしょうか(次男はドイツ在住ですが……)。

彼の助手をしていた頃、一緒に春から夏は芝刈り機で芝を刈り、秋には画像のように半端ない量の黄葉した楓の落ち葉を掃除し、冬には雪掻きをしたものです。今となっては楽しい思い出。ヘルマンじいさんと奥さんの冥福を祈るばかりです。

数百年も昔のドイツ東方植民の末裔と縁があったのは、私にとってとても貴重な体験だったのかもしれませんね。彼の他にも第2次大戦後や東西冷戦終結後に帰還したドイツたちとも縁があったので、そのことも今後書いていこうと思います。